会長挨拶
塚本 勝巳
東アジア鰻学会会長
人はいつ頃からウナギを食べるようになったのでしょうか?おそらく私たちの祖先がアフリカの森の樹上から地上に降り立った時、川岸でウナギと遭遇し、恐る恐る食料として利用したのが最初ではないかと想像されます。
ウナギの起源は古く、今から数千万年前とも一億年前ともいわれます。たかだか百万年単位で語られる人類の歴史に比べれば、ウナギは地球の生き物の大先輩といえます。当時、川で比較的簡単に捕獲できた高栄養のウナギは、人々の空腹を癒やし、貴重な食料資源になったに違いありません。
しかし今、そのウナギが世界的に減少しています。減少の原因を明らかにして、適切な対策を講じなければ、人類が長く利用してきた大切な食資源のひとつが絶えてしまうこともあるかもしれません。
そこで日本のウナギ研究者と鰻業界関係者は、1998年、台湾、韓国、中国の研究者・関係者に呼びかけ「東アジア鰻資源協議会」を立ち上げました。以来19年、会員間の情報交換を目的とした年会や研究集会、シラス接岸調査「鰻川計画」など、ウナギ資源の保全と食文化の継承を目指し、さまざまな活動を行ってきました。
シラスの減少が大きな社会的関心事となってからは、2013年より毎年夏の土用丑の日にあわせた公開シンポジウム「うな丼の未来」を開催してきました。最新の研究成果を広く社会に伝えるとともに、資源問題について考える場を共有したいと思ったからです。
また、ニホンウナギ資源の減少に関する緊急提言や国際自然保護連合による絶滅危惧評価についての声明を発表するなど、ウナギ資源の保全に向けた直接的な活動も行ってきました。
しかし、こうした努力は必ずしもウナギの保全や持続的利用に顕著な効果を発揮したわけではありませんでした。
それは、ウナギが何千キロもの大規模な回遊を行うため資源の保護管理が容易でないことが理由として挙げられます。これに関連して、ニホンウナギが東アジアの何カ国にもまたがる国際資源であるために、各国で足並みが揃わず、実効性のある行政措置を講じにくいこともあります。
高度成長期に起こったウナギの育つ河川・湖沼や湿地帯、河口・内湾などの環境劣化や生息場所減少の修復がなかなか進まないことも原因です。
さらに、地球温暖化やエルニーニョなど、人の手で制御することが難しい全球規模の自然現象がウナギの資源減少に関わっていることも資源回復の努力を困難にしている理由です。
そして何よりも、美味なるが故に私たちはウナギの大量消費をやめられず、高価なるが故に乱獲や不正な経済行為が後を絶たないことが問題なのです。
一方で、人々はウナギの謎に長い間魅了されてきました。
川や池にいる身近なウナギが一体どこで卵を産むのか、広い大洋で雄と雌はお互いどのようにして繁殖相手に出会えるのか、そもそもなぜ、あのように何千キロもの大回遊をしなければならなくなったのか、多くの不思議があります。
研究者にとって、ウナギは興味の尽きない対象生物なのです。ここ十年あまりのウナギ研究の進展には目覚ましいものがありますが、まだ解明すべき問題が数多く残っています。
そして、実際の資源問題で重要な将来予測や増殖対策が実現するようになるには、さらにずっと長い期間に亘る地道なモニタリング調査が必要になります。
最終的に、ウナギの保全に成功し未来永劫の持続的利用を実現するには、ウナギの様々な側面を包括的に理解した上で、ウナギの生活史全域にわたる総合的な長期保全計画を立てる必要があります。
包括的理解とは、ウナギという生き物や環境に関する自然科学的な理解だけではありません。社会・経済・流通に関するウナギの社会科学的問題、それに人とウナギの関わりを示す伝承・信仰・芸術など、ウナギ文化に関する人文科学的側面も含め、総合的に研究した結果到達できる、広く、深い理解のことです。
つまり別の言葉でいうと、ウナギに関するあらゆる科学を統合した「ウナギ学」ともいえる学問体系が醸成される必要があります。
このような事情を背景に、この度東アジア鰻資源協議会の歴史を引き継ぎつつも、一旦はこれに幕を引き、新たに組織の学会化を図って「東アジア鰻学会(略称 鰻学会)」を設立することにいたしました。
本学会の目的は、ウナギに関する自然科学、社会科学、人文科学など、あらゆる分野のウナギ研究の発展に貢献し、ウナギの総合科学ともいえる「ウナギ学」を振興することです。
また、鰻学会で語りあわれるウナギ研究の最新の知識を社会に普及し、ウナギの包括的理解を社会全体で共有することにあります。
このため本学会は、学術講演会や年会の開催、ニュースレターの発行、その他本会の目的を達成するために必要な事業を行います。
鰻学会は、うな丼が大好きな人、捕ることに興味がある人、ウナギで生業を立てている人、そしてウナギ研究にはまっている人など、ありとあらゆる「ウナギ好き」が一堂に会し、ウナギについて自由に語り合うサロンでありたいと考えています。ここでは、人とウナギの関係について大いに理解が進み、それを社会で広く共有できればいいと思います。
鰻学会のこうした活動が、将来ウナギ学の発展と資源の持続的利用に繋がるものと期待しています。そもそも学会とは、その学問分野のある限り、脈々と続く息の長いものです。この鰻学会も、そしてこのウナギという愛すべき生き物も、地球上で末長く存続していく平和で豊かな「千年王国」になればよいと願っています。
会長プロフィール
塚本 勝巳
海洋生命学者。1948年11月9日生まれ。現在、東京大学特任教授・名誉教授。専門は魚類の回遊現象。長年ウナギの産卵場調査に携わる。趣味はテニス、サッカー、石ころ拾い。
著書は、「ウナギのなぞを追って」(国語教科書 四下 はばたき、光村図書)、「うなぎ 一億年の謎を追う」(学研教育出版)、「海の生命観を求めて」(東海大学出版会)、「魚類生態学の基礎」(恒星社厚生閣)、Eel Biology(Springer)、Eels and Humans(Springer)など。
受賞は、日本農学賞・読売農学賞(2007年)、Pacific Science Association The Shinkishi Hatai Medal(2011年)、日本学士院エジンバラ公賞(2012年)、The Duke of Edinburgh's Award of The Japan Academy(2012年)、 海洋立国推進功労者表彰(内閣総理大臣賞)(2013年)など。